「あああ?????え???????あ!ん??え??あ、そ…???は??」 「いやいやいや、いや、これは、え?なに?折れ…あ、ディレイ…巻き込…なにこれは?なに???パンク???なんで????」
「あーエンド…エンド??ある??は???ディレイ…は??え??本体??どう???え????」 ワイ「え、でパンクは??なん??なんで?え??なにこれ、あ、え????あ、これ、あ、sぽーk、折れ…刺さ、あーね」
「んでこの黒い…なに???あ、レッグカ…!???え???なん???なんで?」
「あーバックル取れ…あ、開いて??なん…?え?さっき閉め…」
「…ッ゙アッ…嗚呼あ!!!!」
あまりにも情けない現状を脳が認識するにつれて徐々に押し寄せる絶望と悔恨。その場でアスファルトに突っ伏して身体を捩りながら「ん゛アア゛〜ああああああ!」と胸の奥から噴き出してくる音をそのまま出す。
月に一度のサイクリング、年に数度の一泊二日…その初日…ここまでの高速代…壊れた自転車…内装…またバラすのか…あのとき…ちゃんとバックルを留めておけば…
社会生活において相手や敵のあることであれば、奥歯を割ってでも噛み殺すほうが格好がつくが、こうした完全自己完結かつインスタントカルマな艱難辛苦は、発生したその場で1秒でも早く解き放ってしまうのがいい。幸いにも、僻地でのサイクリングはそれが叶う。
30も半ばに迫る成人男性にはあり得べからざる動きと呻きを晴天下の路上に繰り出していると、次第に身体は天を仰ぐ。
…
綺麗だわ、空。
よし、復活。
状況を整理しよう。まず原因。
先ほどの防火水槽での水浴び、脱いだレッグカバーをサドルバッグにしまった後、バックルを留め忘れたまま出発。この急登でバッグから垂れたカバーが変速機へ絡みついたようだ。
「開けたらちゃんと閉める!」
幼い頃から母に、結婚してから妻に、最近はついに娘にまで、何度言われたかわからないその言葉が、遂に鉄槌となって顕現した。まさに自業自得。身から出た錆。ぐうの音も出ない。
次に被害状況。
リアディレイラーが破断。エンドが、ではなくてディレイラー本体が真っ二つである。
スポークが断裂。折れて跳ね上がったディレイラーとアームカバーが巻きつき、絡みついたフリー側のスポークが折れている。
パンク。折れたスポークがここまで無敗を誇っていたシン・グラキンのサイドにブッ刺さり大きな穴が2箇所。
サイクリスト歴16年、いろいろやらかしてきたけれど、一等間抜けな、そして間違いなく過去最悪規模のメカトラだ。
とぼとぼと残りの坂道を登り、今となってはどうでもいいが結局ただの廃体育館だった建物の燻んだ正面玄関へと自転車を立てかける。
漂う魂をどうにか気合いで吸い戻し、ツールボトルをひっくり返して手持ちの工具を前にシンキングタイム。でも実はこの瞬間はちょっと好き。いいぞ、わくわくしてきた。
それに落ち着いて考えてみれば、まだなんとかなるかもしれない。携帯用のチェーンカッターもあるし、ミッシングリンクもアンプルピンもちゃんとある。変速はもう使えないけど、シングル化すればなんとかなるかも。あ、でもニップル回し入れてねえな・・・
あれこれ考えたって仕方がない。こういうときはまず手を動かしてみるに限る。
手始めに捩れたディレイラーのワイヤーを外すと、いよいよ本体が2つに分かれた。
まずはディレイラーを除去してシングル化してみよう。
携帯用のチェーンカッターでピンを押し出し、カットに成功。
こうなった以上は天生峠を舗装路で登って白川郷まで下るだけなので、ギアはインナーローに、と思ったが、チェーンラインが斜めになるとまずいかと思って、目測で平行に近い4速あたりでミッシングリンクを使って繋いでみることにした。(このあたりから手が真っ黒なので写真がほぼない)
ここまでは案外素早くできた。次はホイールだ。
後輪を抜き取り、タイヤを外してチューブをぶち込む。シーラントがほとんど乾いていたのが想定外だったが、今はむしろありがたい。
問題はスポーク折れのほうで、基本的にホイールってのはスポーク本数が少ないほど一本折れたときの振れもデカくなる。36Hのツーリング用ホイールであれば一本折れたくらいどうってことないが、DT SWISS PR1400 DBはスポーク数が24本。この本数だと一本飛んだだけではっきりわかる程度にぐわんぐわんと左右に揺れている。
フレームにホイールをもどして様子をみる。おそらくタイヤが40cくらいまでであればギリギリ接触せずに済んだと思うが、残念ながらこのグラキンは45c。左のチェーステイにガスッと引っかかって回転が止まる。…が、力を入れれば回らないわけではないし、多少の傷くらいはこの際仕方がない。
ニップル回しは面倒くさがらず携帯しておくべきだった。
フレームの養生代わりに廃チューブの切れ端を巻き付け、タイヤのエア圧も平地でリム打ちしないギリギリまで下げてホイールをセット。よしよし、案外なんとかなりそうだぞ、と少し安堵しながら試し乗りをしてみるものの、そうは問屋が卸さない。
数回脚を回すとシングル化したはずのリアのチェーンが暴れ出した。そのままゆっくりペダリングを続けると、あるところから急に脚あたりが重くなった。今まで感じたことのない踏み心地、これは明らかにやばい感じだ。
脚を止めて再度チェーンを見ると、先ほど繋いだ4速からロー寄りの3速へとラインが移り、だが当然チェーン長が足りないせいでありえないくらいパッツパツにテンションが掛かっている。こらあかん。
自転車を降りてすでに真っ黒な手で再度トップ側に落とそうにも張りがキツすぎてどうにも動かず、仕方なくホイールを外そうかとスルーアクスルを回せば、ここの手応えもかなりおかしい。通常ではありえない方向に力が掛かっていて、アクスルが異様に回りにくいのだ。更に恐ろしいことに、そのまま回し続けるとアクスルが抜けるのではなく、突っ張り棒のように作用してリアエンドを強制的に拡張していく。このままでは確実にフレームまで逝く。えらいこっちゃ。
仕方がないので大急ぎで再びチェーンを切断する。張り詰めたテンションが開放されパン!!と大きな音を立ててチェーンがはじけた。危ねえ・・・
チェーンラインがまっすぐになるよう合わせたつもりだったけど、もうちょっとロー寄りだったのか?、と思って、先ほど切ったチェーンを何コマか足して再接続を試みる。一度切ったチェーンを延長するためには最低でも2つアンプルピンが必要だが、ツールケースに入っていたのはミッシングリンクとアンプルピンがそれぞれ1つずつ。前者は最初のシングル化で使っているため、畢竟ピンの数が足りない。
が、これに関しては一度押し出したチェーンのピンを再利用すればどうにかなる。もちろんメーカー推奨外の応急処置で、経験上これで復活したとしても後に当該箇所から再度切れる可能性がかなり高いが、背も腹も持っていかれている現状では贅沢も言ってられない。
チェーンを継ぎ足し、ロー側3速で長さを合わせ再接続。今度こそ、と恐る恐る踏み出すも、また3漕ぎほどで先程と同じくロー側へ流れ、チェーンはパツパツ。なんじゃこれは。
このとき何が起こっていたのか、ということは後日Twitterの有識者たちの文殊の知恵で明らかになった。
簡単に言えば変則性能向上のためにスプロケットに設けられたチェーンの誘導ポイントを通過する際、振動や傾きでわずかでもチェーンが逸れれば、チェーンラインの平行を超えてなおロー側へと移動してしまうようだ。
過去に9速のMTBツーリング車や、後輩の11速でもチェーン切れで同様の処置を行いそこそこ走れたこともあるので、ギアの歯数差やフレーム剛性などにも左右されるのかもしれない。
結局計三度、切ってはつないで延長し、遂にはダルダルのインナーローまで試してみたが全く安定せず、結論としてD-309ではディレイラー(あるいはテンショナー)を失ってしまえば走行は不可能ということがわかった。
じゃあもう歩くしかねえよなあ???
歩くしか…ねえよな…
朝、車をデポした白川郷の道の駅は天生峠を越えた先。すでに電波がギリギリのスマホに聞けば、なんでも22kmあるそうで。時速4kmで徒歩約5時間。
とはいえ、(フレームに擦ることさえ気にしなければ)下りは無理やり乗れなくはないので、実際はもう少しは巻けるだろう。
ということで、レッツデスマーチ。
チェーンを切ったりつなげたり悪戦苦闘の合間に放心したりメシ食ったりでたっぷり時間を使い、気がつけば時間は17時を回った。峠の頂上までは9km、標高ベースでは+600mちょっと。硬いSPDシューズで抵抗マシマシな自転車を延々押し登っていく。
そしてもはやお決まりとなった雨。ざっと降って、すぐに止んでを繰り返す典型的なにわか雨。未だ蒸し暑い身体を冷やすには最適だが、絵面が少々惨めすぎる。
集落からしばらく、ゲートが現れたあたりでついにスマホも圏外へ。あとはただひたすら歩くより他にできることは何もない。
タイヤとフレームが接触する音に精神(と養生のチューブ)を削られながら、歩く。歩く。
標高が1000mを超えたあたりで雲に頭を突っ込んだ。本来なら今頃とっくにゴールして白川郷の温泉で湯けむりを満喫していたはずなんだけどな。おかしいな。
そういえば舗装路で自転車をこんなに長い距離押し歩くなんていつぶりだろうか。これまでも様々なトラブルには遭遇してきたが、案外どうにかなるもので、なんやかんやと走れはしていた気がする。全くの自走不可で日暮れに延々押し歩くとなると、ひょっとして10年以上前の北海道・東北ツーリング以来か。
あのときは函館に向けて走行中、Vブレーキで削られ続けた26インチMTBのリムが剥がれてタイヤにぶっ刺さり、十数キロ先の最寄り駅まで肌寒い9月の北海道を押し歩いたんだった。
辿り着いた無人駅の終電はとうに過ぎ、駅舎で寝袋にくるまって寝たあの夜、楽しかったなあ。そういえばだれかと駅で喋ったような記憶があるんだけど、経緯が全く思い出せない。誰だったかな。
そんなことを考えながらしばらく歩くと雲を抜け、少し明るさを取り戻す。
とはいえすでに山の向こうに日は沈み、徐々に視界が色を失っていく。疲労もあってか頭がボーッとしてきた。
おかしいな、距離はそれほど走ってないし体力的にもまだ余裕があるはずだけど、と思ったが、よく考えれば今朝は3時起床で4時間弱のドライブの後の出発だった。そうか、単純に眠いんだ。
だが無常にも道は俄然厳しさを増す。
装備込みで11kgほどの自転車を押し歩き登る坂道がこんなにキツいものだったとは。この程度の坂道、グラベルや登山道で押し上げたり担ぎ上げたりすることはザラにあるが、同じ斜度でも硬いアスファルトの上を延々と歩かされることによる心身の負担は段違いだ。
ロード用に比べれば幾分マシとはいえソールの硬いSPDシューズは、最初こそ案外歩けるなと思ったが、やはり脚への負担は蓄積しているようで、後半斜度が増してくると股関節やふくらはぎに徐々に鈍い痛みが蓄えられていく。バッグのスペースに余裕もあったし、スリッパでも入れてくるんだったな…
標高1200mを超えたあたりでいよいよ眠気に限界が来た。このときはなぜか空腹感は感じていなかったんだけど、後から考えればハンガーノックもあったんだと思う。日暮れまでには余裕で帰れると思っていたので、昼食の他に非常食として携行していたのはカロリーメイトと一本満足バーがひとつずつ。それもメカトラの処置後に食べ尽くし、あとは延々10km近く舗装路を歩いてきたのだから当然と言えば当然か。
後もう少し歩けば峠の頂上なんだけど、お構いなしに襲い来るこの強烈な眠気。この機は逃せない。仮眠に適した小屋などあるわけもないので、曲がりくねった峠道の途中、すれ違い用に少し広がった比較的見通しのいいところに、どうせ車は来ないだろうが念の為自転車をすこし後方に倒して、自分はちょっと高い位置の路肩に寝転がる。
このとき周囲はまだ薄ぼんやりと明るかった。標高が上がってきたこともあり肌寒いとは言わないまでも気温はかなり下がっており、一度雨に濡れたにも関わらずまだほんのりと温いアスファルトが妙に心地良い。まあどうせそんなに寝れないだろうけど、10分でも横になれば多少は回復するだろう…
…
はっと目が覚める。真っ暗。それまでの記憶と同時に周囲の音や匂いも一気に脳に流れ込む覚醒の瞬間の小さなパニックタイムを味わいながら、ゆっくりと起き上がる。やばい、ほんとうに真っ暗だ。
復活した頭が最初に命じたのは、とりあえず大声で叫ぶこと。さっきは全く考えていなかったが、こんな人気のないとこで無防備に寝て、熊でもきてたらどうすんだまったく。時計を見ると10分どころか、たっぷり1時間弱爆睡していたらしい。さっきは眠気でよく考えてなかったけど、山奥とはいえ路肩でひとり無防備に熟睡かますのはさすがに常軌を逸している。いや、国道の上なんですけど。
そしてまた歩き始める。熟睡したおかげで頭は冴えていい気分。そういえば最近はナイトライドも殆どできていなかったので、こんな悲惨な状況にも関わらず心底楽しんでいる自分がいる。
クソほどキツい、マジでキツい天生峠を延々押し歩き闇煙を満喫したものの眠気とハンガーノックが酷く路肩で爆睡してたら、3時間ぶりに通りかかった車の中国人夫婦が乗ってけって声かけていただいて無事白川郷まで辿り着きました。謝謝…謝謝… pic.twitter.com/Oksw7A2DOl
— やくも (@wartori621)
September 13, 2024
いよいよ限界ライド感がでてきたな。
再び歩き出して少ししたところで、遠く後方からエンジン音が聞こえてきた。実に3時間ぶりの車だ。
近づいてくるハイビームのライト、一瞬ヒッチハイクしてみようか…とも思ったが、頂上も近いし歩くのも楽しくなってきたしどうするかな…と、迷っている間に車は通り過ぎて…すぐ先で停まった。
「あのー?だいじょうぶーですかー??」
聞こえてきたのはノンネイティブな優しい日本語。全く予想していなかった展開にとりあえず「大丈夫ですー!」とか答えた気がするが、わざわざ車から降りて来てくださったのは中国人のご夫婦。
奥さんの方が日本語が堪能で、自転車が壊れてしまって歩いていることを伝えると、白川郷なら自分たちも向かってるところだから乗ってって、とのこと。有難すぎる申し出に、ナイトウォーク続行の気力は一瞬で消え失せ、全力でご好意に甘えることにした。
さすがに自転車は積めないので、相棒あとで自分の車で迎えにこよう。
ガードレール脇の路肩にD-309を隠し、後部座席に乗せていただいて発進。
徒歩の10倍以上の速度で峠を駆け上っていく。圧倒的な安堵感と、少しの敗北感。
あっという間に峠を越えて白川郷にたどりつくまでの40分ほど、お二人の話を聞いているとお二人とも中国の方で、今は仕事で来日し東京で暮らしているらしい。旅行で白川郷を目指してきたが、ノープランできたため宿も決めておらず、道もカーナビに言われるがまま走っていると天生峠に迷い込み、本格的な峠道に驚いていたところで自転車を情けなく押し歩く自分の姿を見つけて、思わず声をかけてくださったらしい。
ついでだから、と道の駅まで送ってくださり、最大限の感謝を伝えてお別れ。最悪日を跨ぐかと覚悟していた天生峠超えだが、無事21時には白川郷にたどり着くことができた。謝謝…!!
空腹フラフラで飛び込もうとしたデイリーヤマザキはすでに閉店。夜九時以降の白川郷に、よそ者が飯を食える場所はねえ。覚えた。
車に積んでいたグミ一袋と道の駅のアイスの自販機でカロリーを摂取し、置き去りにした自転車を取りに再び自分の車で天生峠を登る。未舗装林道で完登したかったなあ。いつかまた必ずリベンジに来よう。
おしまい
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