昔覚えたウルトラ怪獣の身長体重から今気になってる自転車のジオメトリまで、好きなことなら時空を超えてなんぼでも覚えていられるのに、日常生活における諸々の記憶力があまりにも鶏すぎて事あるごとに妻に怒られる日々。
そこで年始、今年のテーマは「記録」でいこうと始めた日記が、無事に半年続いたので記念にまとめておく。
続けられる日記帳探し
日記なんてどう考えてもズボラな自分の性分と合わず、まともなやり方では全く続かないという確信があったので、じゃあどんな日記なら毎日続けられるだろうかと考えた。まず最初に決めたのは、「出来事だけを書こう」ということ。
心情やポエムを日常から毎日ひねり出すようなマゾい趣味は持ち合わせていないので、とにかくその日起きたことだけを淡々と記録していくだけでいい。
そういう視点で見ると、いわゆる「日記帳」と呼ばれる類の商品はどれも一日の記述欄がでかすぎる。
よくある三年連用タイプの日記帳、これでも自分にとっては記述量が多すぎる。3日もかける気がしない。書店やLOFTで日記帳を物色しながら、あれもちがう、これも違うと探すことしばらく、ええもんを見つけた。
ナカバヤシ ロジカルダイアリー
見た目は至って普通の大学ノート。中を開くとこんな感じ。
マスと罫線で区切られたカレンダーが、普通のノートに印刷してある。
これが2023年12月〜2025年3月までの16ヶ月分が同じレイアウトで並び、残りは通常のノート。
ただそれだけのシンプルな商品だけど、ズボラな自分にはぴったりだった。
毎晩時間にしておよそ2分くらい。チェックボックスや行数も無視して、とにかくその日あったことを思いついた端から書く。時系列も来にしない。細かいことはなにも考えない。どこへ行った、何を食った、誰と会った、その日印象に残ったことだけをぱぱっと書く。
ちなみに使っているペンはジェットストリームの0.3mm。こんな細いペンでちゃんともの書くの、実は初めて。
半年続けた効果
このノートの良いところは、一ヶ月分の記録が全て見開きで見渡せるところ。昨日書いたことも、一週間前に書いたことも、毎晩開いて書き足すうちに、見るとは無しに目に入る。仕事に追われて矢のように過ぎていく薄味の毎日は、ともすれば時間間隔が断絶しがちだけど、毎晩数秒でも過去数日の記録を文字で認識するだけで、脳内のタイムラインが地続きなものとなって地に足がついたような感覚がある。
そしてもうひとつ、自分の時間認識が客観的に把握できたのも新鮮だった。どうやらおれは2度睡眠を挟んだより前のことは全てざっくり「過去」フォルダにまとめて突っ込んでいて、3ヶ月前のことも3日前のこともそれほど記憶の精度に差が無い。ほんの一週間前の記録にも、「ああそんなこと会ったことあったなあ」みたいな感想を抱くことが多々ある。こけこっこー。
続けるコツ
絶対続かんやろこんなん、と思っていたけど、あれよあれよと半年も。継続のコツみたいなものがあるとすれば、とにかく「感情を入れない」ことだと思う。良いこと、悪いこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、そういうのはもう全部どうでもいい。ただ、「出来事」だけに集中して、夜寝る前の数分だけペンを動かす。それだけ。
でも面白いのは、これだけ出来事に集中して書いてるつもりでも、あとになって見返すとそのとき自分がどういう気持で過ごしたかということがはっきりと分かる。記録をトリガーに思い出してる部分もあるけど、そうじゃなくて筆跡とか描写する言葉のチョイスだけでも嬉し悲しがダダ漏れててはっきり読み取れてしまうから面白い。
慣れてくるともはや自動筆記並みにルーティン化されてしまい、布団に入ってまどろんでから「あれ?今日書いたっけ?」と思ってのそのそ起き出し「あ、書いてたわ」なんてことも多々あった。
あとがき
ということで半年続いた見開きカレンダー日記、ひとまず今年1年は継続してみようと思う。あと、「記録」という面ではこのブログももっと活用していきたい。無駄に中身にこだわって下書きで腐らせてしまうような記事も多々あるので、あほみたいな書き散らしでも中途半端でも、何某かの形で見えるところにおいておくほうが結局後々面白いってことがなんとなくわかってきたので。
特にTwitterのつぶやきなんかも、実はブログの記事以上に韻とか言葉のしかけにこだわって楽しみながら時間かけて書いてるんだけど、いつモリビトのようにイーロン・マスクの怒りを買って垢バンされるかわかったもんじゃないので「記録」としてこちらに残していっても良いかもしれない。
ということで、もしかしたら今後ちょっとブログのテイスト変わってくる、かも。わからん。未定。
おしまい
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