初参加となった余呉での集いからはや一年、今年も参戦させてもらったきゃんつー集い。
大会ではない、ただのイベントでもない、この「集い」という唯一無二の時空間については昨年の記事や主宰である醍醐漫の記録を参照されたし。
約束の日の一ヶ月前、醍醐漫からDMで発表された今年の集い場は、諏訪湖近くの山の中、しだれ栗森林公園。
早速地図を開き、同心円状に周囲を眺めていくと、今年もその素晴らしい場所の選定に舌を巻く。
北に目をやれば高ボッチ、鉢伏山、和田峠、東には霧ヶ峰や足を延ばせば麦草峠も射程圏内。南には杖突峠から金沢峠が、西には御岳を擁する木曾の山々と、野麦峠も頑張ればいけるか…?
あまりにも膨大で魅力的な選択肢を前に幸せなルートパニックだ。
地形図をこねくり回してよさげな峠や林道をあぶり出し、輪行の移動時間など諸々の条件から出発地に選んだのは、名古屋から特急しなので一時間半の木曽福島駅だった。
宿場情緒溢れる駅前で輪行解除。
少し離れたデイリーヤマザキで水と飯を調達して準備万端。出発!
この中山道サイクリングについては、otakuhouse@_o_t_k_ 氏の素晴らしい記録があるので必読。
…が、実はここが中山道であることを意識したのはコース設計の終盤。なので中山道についてはろくな下調べもせずに臨んだが、旧街道を示す看板が要所要所に設けてあり容易に辿ることができた。
集落を抜ける広い舗装路もあれば、かつての姿をそのまま残したトレイルのような道もあり変化に富んだ絶好のサイクリングコース。
歴史や文化を愛する者には垂涎必至の旧街道を行きながら、街並みなどには目もくれず道そのものに涎垂らしてひとりニヤニヤ走ってるんだから世話はねえよな。
街道集落の続く国道19号沿いを離れ、この日最初の峠、鳥居峠を目指す。
ここも旧中山道の一部で、京都側にはダブルトラックの砂利道と並行して石畳が敷かれた道が残ってたので、短距離ながら自転車を押して歩いてみた。
やってみるとわかるけど、こういう丸みを帯びた大きなゴロ石の坂道はSPDシューズの天敵だった。クリートのわずかな点でしか接地できず踏ん張りが効かないので滑る滑る。
たまらず車道へ出るとご丁寧に熊よけのための立派な鐘まで用意されていた。鳴らしてみると高い音が山に響く。今回は歌の出番はないな。
ダブルトラックで硬く閉まった上質な未舗装路が続く。斜度も急すぎず、序盤の足慣らしにはもってこいだ。
まだいくらも登ったわけでは無いけれど、ほんの少し走るだけでも遠くへ来たことを肌で感じる。森の匂いや木漏れ日の差し方、聞こえてくる虫の声も慣れた京都の林道とは大きく異なる。関ヶ原より東の夏を走るのが久々なのもあって、どこか懐かしい気さえする。
そもそも出発の木曽福島駅の時点で標高が800m近くあり、これは京都で言えば花脊峠の頂上(759m)よりもまだ高い。林道の楽しさなら関西も負けてないが、1000mを優に超える峠がそこかしこにある中部地方の環境はサイクリストとしては羨ましい限りだ。
走りやすい未舗装路をごきげんに行くとあっという間に鳥居峠(1197m)に到着。アジサイに埋もれた道標がいい味を出している。
これぞ夏の林道って感じ。
引き続き走りやすいダートを5kmほど飛ばして、次の宿場町へ。
鳥居峠を越えればそこは奈良井宿。なんでも街道随一の長さを誇る宿場町だそうで。
時代劇のなかに迷い込んだような見事な街並みが続くが、ようやく始まった待望のツーリング、砂利の峠越えで昂った心(と汗だくの身体)は観光客と足並みを揃える史跡鑑賞と極めて相性が悪く、ここで勢いを止めたくなかったので申し訳程度に写真だけ取って次の峠を目指す。
街道沿いには数多くの湧水場が点在している。先の鳥居峠の前にも一度体を濡らしていたけど、ちょうど乾いてきた頃にまた次の水場が用意されていてありがたい限り。
夏の湧き水ってぼーっと見てるだけで幸せな気持ちになれるよな。
冷たい水をボトルですくって躊躇なく頭からぶっ被る。思わず「ひょおおおおおおおお!」と嬌声が漏れるが、400年前の旅人もみんなこうしてたはずなのでセーフ。
ちなみにこの日は浴びた水をなるべく保水したくてあえての綿シャツで走ってみたが、水にドボ付けすれば直射日光下でも1時間半ほどは気化熱による冷却ボーナスが発生するので大いにアリだった。
静かな峠道を半分ほど登ったところに、お目当ての未舗装林道への入り口が。
実はこの林道、地図上では先ほどの街道沿いの贄川あたりから繋がっているのだが、諸々調べてみた結果どうやら今は完全に崩落した上にエグい藪漕ぎになっているらしく、仕方なくこちら側からピストンを試みる。
さっきの鳥居峠とは打って変わって荒い砂利の急なグラベルを3kmほど登る。これだよこれ、砂利道ってのはこうじゃなくっちゃなあ、などと京の林道を思い出しながら青息吐息で登っているので途中の写真がない。
急な谷筋が徐々に開け、道の左右に苔むした石垣。森の中に不自然に平らな空き地も現れだして、ここがかつての集落だったことがわかる。次第に木々に埋もれた荒屋がひとつ、ふたつ、そして、
「民宿 ふるはた」
布団も積まれたまま。いざとなったら寝れるな。
他の廃屋に暗べても比較的まだ状態が良かったので、村が廃れていく中最後まで営業していたのかもしれない。…誰のために??
さらに林道を登れば、木々の合間に…
みーつけた。
贄川小学校桑崎冬季分校
打ち捨てられた教室にはまだ比較的新しそうな備品もあり、
かと思えば玄関近くに放置されていた教科書はかなりの年代物。
発行年を見れば…昭和三年!?西暦にすれば1928年、ほぼほぼ100年前やんけ。
ただ、この校舎自体が建てられたのは戦後間もなくの頃だそうで、教科書だけ贄川の本校から持ってきたのか。
グラウンド横の小屋には大きな鐘が。始業の重みが違う。
そしてこの廃校最大の見どころは、グラウンド横に聳え立つ二基の巨大なサイロ。
平野や高原地帯ならいざ知らず、鬱蒼とした山間部にこれほど大きなサイロが二基も必要になるほどの牧場があったとは思えない。少し調べてみたけど理由は謎のまま。なんなんだこれは。
峠はこれといった展望もなく、淡々と走って飯沼川沿いを小野の集落に下っていく。
途中、不意に県道を外れて一つとなりの谷筋を走ってみると現れた一瞬の未舗装路、空と雲の演出も相まって「夏のグラベル」の概念ど真ん中のような光景だった。直後、左右の畑を埋め尽くすソーラーパネルが現れて興ざめしたのは内緒。
廃車にも夏の彩り。
時間は14時近く、ろくな飯も食べてなかったし、せっかく信州まで来たんだからそばでも食うかと寄ったお店は無念の営業時間外。
仕方がないのでコンビニに立ち寄り、イートインコーナーでせめてものざるそばをありがたくすする。うめえ。
このコンビニはどうやら地元の商店的な役割も兼ねているらしく地場の様々な野菜が売られていた。キャンプ場まで最後の食購地点なので、ひとつ頂戴していくことに。
2本セットで220円。なかなかどうして収まりがいい。
この日は10名を越える大所帯と聞いていたが、自分は4着くらいだったかな。一年ぶりやはじめましての仲間たちと歓談しながら残る輩の到着を待つ。
来たものから早々にテントを設営。みんな手慣れたものだ。
テントサイトまでの砂利の激坂をブロンプトンで爆走しながら現れたのは、みんなご存知つむりさん。実は過去に何度かニアミスしているが、ちゃんとお会いするのは今回が初めて。
自分と同じ木曽福島駅から中山道を優雅に歴史探索されてきた様子が集いの翌日には氏のブログにまとめられていた。仕事が早い。
その後も続々と輩どもが集結し、集いの村ができあがあってゆく。
互いの自転車やキャンプ装備を眺めながら、あちらこちらで始まる雑談。とても楽しい。集いの醍醐味だ。
苦し楽しげな旅がまだまだ絶賛継続中の模様。
どこ通ってんの!?たどり着けるんか!??などとわいのわいのしながら、先着組はひと足お先に飯の準備にとりかかる。
餃子を焼いたり、豚トロ焼いたり、きのこのソテーを炒めたり、具材も器具もてんでバラバラ。思い思いの飯を食う。
ちなみに自分はさっきのとうもろこしを焼きました。これを調理と呼ぶかどうかは、おまえの良心にまかせる。
それもお宿から山を眺めて優雅に、ではない。ピレネー山脈960kmの縦走サイクリングの真っ只中から、その絶景とともに実況生中継である。
大会ではない、ただのイベントでもない、この「集い」という唯一無二の時空間については昨年の記事や主宰である醍醐漫の記録を参照されたし。
きゃんつー集い2023余呉·輩の旅装|daigomantour
ことしもやりました。 各自自己責任集合、相乗効果で醸されるきゃんつー野郎の集い。 昨年の様子はこちら↓
なんと今回は関西、滋賀県のウッディパル余呉に集いました。 輩の背中 到着順に輩の旅装を振り返ります。 楓氏の場合 自転車:柳サイクル クロモリ 26he 自転車は、柳サイクルの26インチ。 フロントシン...
【きゃんつー集い】DAY1 旧北陸線隧道群と廃道サイクリング
海千山千の自転車野郎が一堂に会する「きゃんつー集い」に念願かなって初参戦。敦賀から旧北陸線隧道群を抜けてた廃道サイクリングと集い、その記録。
Road to Tudoi
昨年の余呉しかり、到達ルートが限定されず、それでいて旅の最後に「辿り着く」べき繁華すぎない集いの場の設定は毎年苦労するそう。約束の日の一ヶ月前、醍醐漫からDMで発表された今年の集い場は、諏訪湖近くの山の中、しだれ栗森林公園。
早速地図を開き、同心円状に周囲を眺めていくと、今年もその素晴らしい場所の選定に舌を巻く。
北に目をやれば高ボッチ、鉢伏山、和田峠、東には霧ヶ峰や足を延ばせば麦草峠も射程圏内。南には杖突峠から金沢峠が、西には御岳を擁する木曾の山々と、野麦峠も頑張ればいけるか…?
あまりにも膨大で魅力的な選択肢を前に幸せなルートパニックだ。
地形図をこねくり回してよさげな峠や林道をあぶり出し、輪行の移動時間など諸々の条件から出発地に選んだのは、名古屋から特急しなので一時間半の木曽福島駅だった。
宿場情緒溢れる駅前で輪行解除。
少し離れたデイリーヤマザキで水と飯を調達して準備万端。出発!
中山道を辿る
御嶽の東の谷間を抜ける今回のコースは、かつて江戸と京都を繋いだ5つの街道のひとつ、中山道と重なる。この中山道サイクリングについては、otakuhouse@_o_t_k_ 氏の素晴らしい記録があるので必読。
旧中山道を自転車で走ってみよう
江戸時代に整備された五街道の1つであり、東海道とともに江戸と京都を結んでいた中山道。このオリジナルのルートである旧中山道を自転車でトレースした。旧中山道は昔の面影をよく残すルートとして、歴史好きや日本通の外国人に人気であるが、実は峠の標高は高く未舗装路も残っておりサイクリングルートとして走りごたえがある。旧中山道のレポ...
…が、実はここが中山道であることを意識したのはコース設計の終盤。なので中山道についてはろくな下調べもせずに臨んだが、旧街道を示す看板が要所要所に設けてあり容易に辿ることができた。
集落を抜ける広い舗装路もあれば、かつての姿をそのまま残したトレイルのような道もあり変化に富んだ絶好のサイクリングコース。
歴史や文化を愛する者には垂涎必至の旧街道を行きながら、街並みなどには目もくれず道そのものに涎垂らしてひとりニヤニヤ走ってるんだから世話はねえよな。
鳥居峠
街道集落の続く国道19号沿いを離れ、この日最初の峠、鳥居峠を目指す。
ここも旧中山道の一部で、京都側にはダブルトラックの砂利道と並行して石畳が敷かれた道が残ってたので、短距離ながら自転車を押して歩いてみた。
やってみるとわかるけど、こういう丸みを帯びた大きなゴロ石の坂道はSPDシューズの天敵だった。クリートのわずかな点でしか接地できず踏ん張りが効かないので滑る滑る。
たまらず車道へ出るとご丁寧に熊よけのための立派な鐘まで用意されていた。鳴らしてみると高い音が山に響く。今回は歌の出番はないな。
ダブルトラックで硬く閉まった上質な未舗装路が続く。斜度も急すぎず、序盤の足慣らしにはもってこいだ。
まだいくらも登ったわけでは無いけれど、ほんの少し走るだけでも遠くへ来たことを肌で感じる。森の匂いや木漏れ日の差し方、聞こえてくる虫の声も慣れた京都の林道とは大きく異なる。関ヶ原より東の夏を走るのが久々なのもあって、どこか懐かしい気さえする。
そもそも出発の木曽福島駅の時点で標高が800m近くあり、これは京都で言えば花脊峠の頂上(759m)よりもまだ高い。林道の楽しさなら関西も負けてないが、1000mを優に超える峠がそこかしこにある中部地方の環境はサイクリストとしては羨ましい限りだ。
走りやすい未舗装路をごきげんに行くとあっという間に鳥居峠(1197m)に到着。アジサイに埋もれた道標がいい味を出している。
これぞ夏の林道って感じ。
引き続き走りやすいダートを5kmほど飛ばして、次の宿場町へ。
奈良井宿
鳥居峠を越えればそこは奈良井宿。なんでも街道随一の長さを誇る宿場町だそうで。
時代劇のなかに迷い込んだような見事な街並みが続くが、ようやく始まった待望のツーリング、砂利の峠越えで昂った心(と汗だくの身体)は観光客と足並みを揃える史跡鑑賞と極めて相性が悪く、ここで勢いを止めたくなかったので申し訳程度に写真だけ取って次の峠を目指す。
豊富な水場
街道沿いには数多くの湧水場が点在している。先の鳥居峠の前にも一度体を濡らしていたけど、ちょうど乾いてきた頃にまた次の水場が用意されていてありがたい限り。
夏の湧き水ってぼーっと見てるだけで幸せな気持ちになれるよな。
冷たい水をボトルですくって躊躇なく頭からぶっ被る。思わず「ひょおおおおおおおお!」と嬌声が漏れるが、400年前の旅人もみんなこうしてたはずなのでセーフ。
ちなみにこの日は浴びた水をなるべく保水したくてあえての綿シャツで走ってみたが、水にドボ付けすれば直射日光下でも1時間半ほどは気化熱による冷却ボーナスが発生するので大いにアリだった。
廃村桑崎集落
国道19号とJR中央線が南北に走る谷筋から、県道254号で東へ牛首峠へと向かう。静かな峠道を半分ほど登ったところに、お目当ての未舗装林道への入り口が。
実はこの林道、地図上では先ほどの街道沿いの贄川あたりから繋がっているのだが、諸々調べてみた結果どうやら今は完全に崩落した上にエグい藪漕ぎになっているらしく、仕方なくこちら側からピストンを試みる。
さっきの鳥居峠とは打って変わって荒い砂利の急なグラベルを3kmほど登る。これだよこれ、砂利道ってのはこうじゃなくっちゃなあ、などと京の林道を思い出しながら青息吐息で登っているので途中の写真がない。
急な谷筋が徐々に開け、道の左右に苔むした石垣。森の中に不自然に平らな空き地も現れだして、ここがかつての集落だったことがわかる。次第に木々に埋もれた荒屋がひとつ、ふたつ、そして、
「民宿 ふるはた」
布団も積まれたまま。いざとなったら寝れるな。
他の廃屋に暗べても比較的まだ状態が良かったので、村が廃れていく中最後まで営業していたのかもしれない。…誰のために??
さらに林道を登れば、木々の合間に…
みーつけた。
贄川小学校桑崎冬季分校
打ち捨てられた教室にはまだ比較的新しそうな備品もあり、
かと思えば玄関近くに放置されていた教科書はかなりの年代物。
発行年を見れば…昭和三年!?西暦にすれば1928年、ほぼほぼ100年前やんけ。
ただ、この校舎自体が建てられたのは戦後間もなくの頃だそうで、教科書だけ贄川の本校から持ってきたのか。
グラウンド横の小屋には大きな鐘が。始業の重みが違う。
そしてこの廃校最大の見どころは、グラウンド横に聳え立つ二基の巨大なサイロ。
平野や高原地帯ならいざ知らず、鬱蒼とした山間部にこれほど大きなサイロが二基も必要になるほどの牧場があったとは思えない。少し調べてみたけど理由は謎のまま。なんなんだこれは。
牛首峠から小野へ下る
廃村を満喫したあとはもと来た道へと戻り牛首峠を越える。峠はこれといった展望もなく、淡々と走って飯沼川沿いを小野の集落に下っていく。
途中、不意に県道を外れて一つとなりの谷筋を走ってみると現れた一瞬の未舗装路、空と雲の演出も相まって「夏のグラベル」の概念ど真ん中のような光景だった。
廃車にも夏の彩り。
時間は14時近く、ろくな飯も食べてなかったし、せっかく信州まで来たんだからそばでも食うかと寄ったお店は無念の営業時間外。
仕方がないのでコンビニに立ち寄り、イートインコーナーでせめてものざるそばをありがたくすする。うめえ。
このコンビニはどうやら地元の商店的な役割も兼ねているらしく地場の様々な野菜が売られていた。キャンプ場まで最後の食購地点なので、ひとつ頂戴していくことに。
2本セットで220円。なかなかどうして収まりがいい。
到着、しだれ栗森林公園
最後に4kmほどのキャンプアップを頑張れば約束の場所、しだれ栗森林公園へ到着。この日は10名を越える大所帯と聞いていたが、自分は4着くらいだったかな。一年ぶりやはじめましての仲間たちと歓談しながら残る輩の到着を待つ。
来たものから早々にテントを設営。みんな手慣れたものだ。
テントサイトまでの砂利の激坂をブロンプトンで爆走しながら現れたのは、みんなご存知つむりさん。実は過去に何度かニアミスしているが、ちゃんとお会いするのは今回が初めて。
自分と同じ木曽福島駅から中山道を優雅に歴史探索されてきた様子が集いの翌日には氏のブログにまとめられていた。仕事が早い。
【長野県】ちょっとブロンプトンで中山道の宿場町巡りをしてきた話【福島宿〜奈良井宿 #きゃんつー集い】
久しぶりのブロンプトン旅。今回の舞台は長野県は中山道。江戸時代に整備された五街道と、その要所に存在する宿場町を巡った様子をつらつらと。...
その後も続々と輩どもが集結し、集いの村ができあがあってゆく。
互いの自転車やキャンプ装備を眺めながら、あちらこちらで始まる雑談。とても楽しい。集いの醍醐味だ。
夕食
一応集合時間の目安は決まっていたが、TwitterのDMには「もうすぐつきます!」「遅れます!」「今白樺湖です。」「ミスコースなうです。」「ライフゼロです!」など、各々どこ通ってんの!?たどり着けるんか!??などとわいのわいのしながら、先着組はひと足お先に飯の準備にとりかかる。
餃子を焼いたり、豚トロ焼いたり、きのこのソテーを炒めたり、具材も器具もてんでバラバラ。思い思いの飯を食う。
ちなみに自分はさっきのとうもろこしを焼きました。これを調理と呼ぶかどうかは、おまえの良心にまかせる。
集いfromピレネー
今回の集いは総勢17名と過去最大規模だったそうで、中でもすごかったのがオンライン参加となったひの@nanasamib氏。なんと遠く欧州はピレネー山脈からLINEで中継参加である。それもお宿から山を眺めて優雅に、ではない。ピレネー山脈960kmの縦走サイクリングの真っ只中から、その絶景とともに実況生中継である。
今日からフランス、スペイン国境のピレネー山脈を960kmくらい、歩いてきます!
— ひの (@nanasamib)
2ヶ月間くらい不定期の更新になりますが、山での出来事をイラストとかアニメーションとかでお伝えしようと思ってます。
それではまた!#ひのピレネー pic.twitter.com/AjS6BbT8Bb
July 29, 2024
https://t.co/BpRt4DQIdQ
— 醍醐漫 DAIGO-GEAR (@penassos)
私が作った山岳サイクリングザック。
ひの氏が自転車を括り付けて、ピレネーの岩場を越えています。
August 11, 2024
それぞれのサイクリングをして、同じ飯を囲む。1万キロの距離をものともしない「集い」の渦の大きさよ。
辿り着け、灯を囲め
その後も続々と到着する仲間たち。担ぎの山越えハードルートを越えて来たのはみやたさんとたけひーさん。
ブルワリーで地ビールを調達して現れたのはてらこさん。
ちなみに、結果的に登りは禁断のタクシーを使いました。長野県岡谷駅からGoogle Mapだけを頼りに目的地を目指したんだけど、途中で完全にルートを見失い、暗くなりかけてて遭難しそうだったので、一旦下山して安全にタクシーを呼んだ形。
— clitter(栗田 宏昭) (@clikanist)
30秒で折り畳める #紐バイク で良かった!#きゃんつー集い pic.twitter.com/HqlW1xr0dE
August 4, 2024
遭難寸前からスペシャルな紐バイクをタクシーに積んでたどり着いたclitterさん。
そして日もとっくに沈んでからの最後の一人。早々にライフゼロを宣言し、折れた心に鎮痛剤をキメながらビーナスラインを越えてきた西園寺かっくさんを皆で賑やかに出迎えて、無事全員集合!
全員揃って恒例の自己紹介や、今年で10回目を迎えた「集い」の起源とこれまで。自転車だけでなく、登山やバックカントリーについて、子育てとサイクリストの両立ってどうすれば?などなど話題は尽きず、集いの夜は更けていった。
つづく
コメント