「OBラン」という言葉から想像するサイクリングとはどんなものだろうか。
現役を退いて久しい腹の出たおっさんたちが、サドルトークで旧交を温めながら昔走った懐かしい峠をのんびり登り、色褪せた遠い青春の記憶に思いを馳せる…
そんな和やかで穏やかな、でも若い現役生にとっては少し物足りない退屈なサイクリングになるんじゃないかと、15年前この行事に参加するまでの自分は、不遜にもそう思っていた。
そんなはずがないんだよ。
卒業してから十余年、おれもようやくその理由がわかった。
卒業して社会人にもなれば、長旅を共にし同じ釜の飯を食った仲間たちも、その大半は次第に自転車から離れていく。
夏旅途中の駅前で全裸のまま寝袋にくるまって、翌朝はみ出て職質されてたあいつも、今は立派に公務員やってるよ。聞けば自転車にはもう長らく乗ってないってさ。
それが現実、それが普通、真っ当な大人として本来あるべき姿なのかもしれない。
だけどな、各世代ごとに何人か、「厄介なやつら」ってのがいるんだよ。
就職しても休みの度にどこかへ出かけ、結婚しても毎年のように自転車買って、可愛い子供が生まれた後でも独り山へと消えていく、いつまで経っても変わら(/れ)ない、上澄み、煮凝り、残り滓、なんと名付けてやってもいい、そんな愉快でケッタイなやつらが。
やつらは飢えてる。
社会通念とコンプライアンスと社則とノルマと満員電車、そんな全部に心のなかでベロ出して、あの頃の自由なサイクリングへの情熱を絶えず心に燻らせている。
だから帰ってくるのさ。
移り住んだ東京からでも、たとえ地の果て群馬からでも、妻子があっても仕事があっても、どうにかこうにかやってきて、あの頃と同じサイクリングを、あの頃以上の知識と装備で全力で楽しみに来るんだよ。
そんなやつらは、ただの道じゃあ満足しない。
そんなやつらは、橋がなかったくらいじゃ止まらない。
そんなやつらは、轍の有無すら意に介さない。
そんなやつらが、おれたちが、あのころのサイクリングへの初期衝動を、ともに紡いだ仲間たちと心ゆくまでぶつけ合える年に一度のハレの舞台、それがおれたちDCCのOBランなんだよ。
もちろん、その裏には並々ならぬ努力がある。
今年は後輩OBがコース設計の大役を長年務めた大先輩から引き継いだ記念すべき最初の行事。
グーグルマップはおろか地理院地図にすら載ってない、山に還った廃道や造成したての新林道、道ですらない踏み跡を、夏前からの入念な下見の果てに見つけ出し、素晴らしいコースに仕立て上げてくれた。
サイクリングの魅力を詰め込んだ、見事なルート設計だった。本当にありがとう。
今年は精鋭ぞろいの一班を走った。
昨年まで長年コース設計を担当してくださった大先輩は、15年前に初めてお会いしたときからその走りや立ち振舞に一欠片の衰えもなく、
今や自転車業界の第一線で活躍する後輩OBは、ブラインドカーブの先に現れた死線に飛び乗りその鼻っ面を凹ませる会心の一撃を放ち、
盟友早稲田のジャージをまとった彼は、どういう仕組みで動いているのか斜度が上がったときに限ってニヤリと鋭く急加速していった。
現役生も負けてない。
この夏インドはラダックの5000m超の峠を走破した現副将は、手に足に生傷を刻みながらも崖や渡渉に果敢に挑み、
初日ハンガーノックに斃れた一回生も、僅かな食料ですぐさま復活、たちまちおれを置き去りにした。
というか、もれなく全員おれを置き去りにした。
おれ(瀕死)
「おれたちはあのころ、ここでサイクリングをしていた。」
今年で創部61年、「あのころ」の幅は既に半世紀以上にも及ぶ。だけど「ここ」は変わらない。
みんな同じ根っこから、それぞれが厄介なサイクリストへと成長していった。
OBランが終わったら、またそれぞれのサイクリングが始まる。
次の1年もよく走り、おもろい話を持ち寄って、またこの場所で話に花を咲かせよう。
また来年!!達者でな!!!
おしまい
コメント
すごいとこを走るんやなあ。ゆったりしたコースを走るんだろうとOBランを思ってました。
脱帽です。卒業の頃、買ったズノウを塗り替え、11段でのんびり週末に楽しんでおります。
これから時々覗いてみます。
月並みですが、60年分のOBの皆さんのご健勝をお祈りしております。
卒業年は正確に覚えておりませんが、今年68歳で同期にこのサイトを教えてくれた柴田氏がおります。
大先輩に読んでいただいて恐縮です。
自分は48代にあたりますが、先輩にも後輩にも現役バリバリのサイクリストが多く毎年素晴らしいサイクリングを企画してくださっています。
オンロードのみで宿を目指すイージー班もありますので、是非歴戦のズノウと共に来年のご参加お待ちしています!笑