ロードバイクAdventカレンダー 7日目
電動変速。
オーダーフレームのExtarProtonでSRAMの初代eTapを、そしてTCRで現行アルテグラのDi2を、合わせてかれこれ6年以上使ってきた
変速「性能」については非の打ち所がない。
初代eTapの、特にフロントディレイラーなんかはまだ「どっこらしょ」って感じで可愛げもあったが、R81世代のアルテグラではシフティングが速すぎて脚のトルクを抜くタイミングが合わないくらいだ。
フル内装の油圧ディスクロードが蔓延る現状では、複雑怪奇なステム内ケーブルルーティングをはじめ電動変速ありきで設計されているとしか思えないような形状のフレームも多い。おれも地獄を見た。
空力の効いたTCRに爆速シフトのDi2を合わせて乗っていると、なるほど確かに爽快だし、快適だし、楽しくもある。
だけど、いつも心の片隅に釈然としない「なにか」がひっかかかる。
それは電動変速というものの存在を知った学生時代のあの日から、ずっと心の隅っこで燻り続ける小さな違和感。
「自転車に『電動』変速ってつけていいのか…?」
アルテグラ R8170、導入。
TCR第9世代+12s油圧Di2。
最新鋭のカーボンバイクが想像のはるか先を行く性能だったので、勢いコンポも最先端で未来(当社比)を味わってみることに。
自転車に己以外の動力を積むことへの嫌悪感とテクノロジーへの好奇心の葛藤にこいつでケリをつけてくる。 pic.twitter.com/ugKStqiA9Q
— やくも (@wartori621) October 17, 2022
ようやくわかった。これは「呪い」だ。
それも一番タチの悪い、大半の人間は呪われていることにすら気づけないほど、弱く微かで、しかしそれでも確実におれたちを芯から蝕む、そんな呪いだ。
おまえたちは口を揃えて言うだろう。
「いや、電動変速は動力には関係ないからいいんだよ」
違う。根本的に間違っている。
そんなのは出先で一度も変速機を叩き割ったことのない温室育ちの世迷言、あるいは市場の圧力に負けて矜持を捨てた業界人が我々サイクリストへと仕掛けた大いなる欺瞞だ。
それを今から証明してやる。
繰り返すが、これは呪いだ。おれは今から呪詛を吐く。電動変速を持つものも欲しがるものも、読めば必ず呪われる。いや、正確には既に呪われていることに気づかせてやるだけだが、おまえたちからすれば大した違いはない。恨むなら恨めばかめ。
これは警告ではあるが、今さら引き返したってしかたがない。原稿用紙13枚分、おれも必死で書いたんだ。ちゃんと最後まで読め。最後だけでも読め。
電動変速の「呪い」。或いはAIがもたらすサイクリングの終焉について。
時は2011年。
大学サイクリング部の夏合宿に先立ち、個人ツアーと称して一人四国の山奥を巡っていた。
停車中、何かの拍子にキャンプ装備満載の愛車が倒れ、縁石の角がフロントディレイラーを直撃。後にも先にもサイクリングの最中にFDを損壊したのはあの時だけだが、とにかくそのままでは走行できないので、歪に曲がったパンタグラフ(銀色の可動部)をペンチ(当時は必須装備として携行していた)で捩じ切って除去。以降、高知市街の自転車屋にたどり着くまで、FDなしでの走行を余儀なくされた。
当時の愛車はフロントトリプルのMTB。リアの変速は生きてるしフロントをセンターに入れておけば大概の山は越えられるが、四国の山と夏旅の積載量は大概ではないので、畢竟どこかでインナーに落とす決断を迫られる。
スマホもガーミンも無い、14万分の1のツーリングマップルだけが頼りの旅。今見えてるこの坂が峠まで続く保証はない。
斜度の上がり始めた道の先と周囲の山容に目をやる。今度こそ、今度こそは本格的な登りだろう。
そして、ここからだ。
変速を決意し、無駄にシフトレバーを空振り、ため息をつき、ペダルを止め、足をつき、サドルを跨ぎ、自転車をガードレールに立てかけ、剥き出しの駆動部に相対する。
すでに黒ずんだ左手でリアディレイラーのプーリーを下げ、もっと真っ黒な右手の指をたるんだチェーン伝いにセンターギアの下へ滑らせインナーへと落とす。
指にこびりついた真っ黒な油汚れを路肩の土になすりつけ、先に続く急登を睨み、吐いたため息を吸い直して、過積載なキャリアの上を大きく跨いだら、さっきより軽くなったペダルを踏む。
これだ。これが、変速だ。
チェーンを別の歯車へ脱線(derail)させ、ギア比を変える。それまで何でもないことのように思っていたけれど、全部手動でやったならほんとはこれくらい大変なことなんだ。
走り出してすぐ、無事なリアディレイラーを右手のラピッドファイヤのシフターで動かしてみる。
まずはリリース。人差し指でカチッ、カシャン。感動的な素早さだ。レバーでラチェットを解除して、バネの張力でディレイラーがトップ側へと戻る。
次は親指でローギアへ。今度はグッと手応えを感じる。ワイヤー伝いにバネを引きロー側へ動かし、引いたワイヤーが戻らないようシフターのラチェットがかかる。
「機械」ってすごいなあ、と心から感動する。自転車を降りて両手を真っ黒にしながら数十秒かけてやることを、シフターとディレイラー、それらを繋ぐ鉄のワイヤーを組み合わせれば走りながらの指一本でほんの1秒もかからない。動かしてるのはさっきと同じ、全部自分の力なのに。
自転車の、いや、ありとあらゆる「道具」や「機械」の本質はエネルギーの変換だ。
シフトレバーを倒す自分の握力をワイヤーとディレイラーでチェーンに伝えてギア比を変える。
ペダルを踏む自分の脚力をチェーンと歯車で車輪に伝えて前へ進む。
車輪という人類史上の大発明を礎に、ベアリング、チェーン、歯車などの優れた機構を組み合わせ、二足歩行のおれたちの限界を越えた運動性能をもたらしてくれる機械、それが自転車だ。
そこには当然自らの握力を鉄のワイヤーで変速機へ伝達する多段ギアや、液体の圧力でピストンを押し出す油圧ブレーキのメカニズムも含まれる。
山あり谷ありの道すがら、前後の歯車にわたるチェーンを別のギアへと掛けかえるためのエネルギー。複数のギアを用いる以上、それはペダルを漕ぐことと同じく、紛れもなく乗り手が前に進むために必要な力だ。決して切り離せるものではない。
これが電動変速ならどうなるか、もう一度よく考えてみろ。
レバーに付いたスイッチを押す。
カチッ ウィッ!カシャ!!
変速が終わる。
「シフトスイッチを押す」
そのためにおまえが指から放ったやけに小さなエネルギーは、わずかな摩擦とボタンのバネで微かな音と熱になり宙に放散していった。その後に起きることは、言ってしまえば今ここで自転車を漕いでいるおまえの心や身体とは、実は全く関係がない。
無線で、あるいは有線でディレイラーに信号が飛ぶ。小型のバッテリーに蓄えられた、文字通りどこの馬の骨ともわからん数千万年前の生き物たちの搾りカスを燃やして沸かした湯で回したタービンが生んだ微弱な電気がモーターを動かして、変速が完了する。
もうわかるだろう。おまえが指から放った力は、シフトスイッチを押したところで断絶している。その力は決して駆動に与することなく、おまえを前には進めない。
もう一つ話をしてやる。今度は心のほうだ。
乗り手と愛車の馴染む度合いを指して「シンクロ率」などと呼んだりするが、電動変速においてはこのシンクロなどというものは土台存在し得ない。
なぜか?
夜中に家を飛び出して、人気のないトンネルに口笛を吹きに行くことがある。
誰も来ないトンネルで心ゆくまでモスラの歌を吹く、最高のナイトサイクリング。 pic.twitter.com/kgh0g4hVAs
— やくも (@wartori621) February 20, 2024
なくてはならないものだけど、溜めてはおきたくないものを、ただただ無闇に吐き出しながら、走るために走る夜。
そんな暴れる心に任せてTCRを漕いでいると、日頃あれだけ素晴らしい変速性能を誇っていた最新のDi2が呆れるほどにトロい。
いやもちろん、実際にトロい訳じゃない。変速速度は変わらない。
そう、変わらない。
どれだけおれの気が昂っていても、俺の指から放たれた、荒ぶる心が生んだエネルギーが変速機まで伝わらない。勢い余ってレバーを引きすぎ、少々チェーンが暴れるほどの力を込めたはずなのに、シフトフィールには何の変化もない。
ペダルにも、ハンドルにも、振り絞った力が伝わって、一切の間断なく人車一体のひとかたまりで風を切っているはずなのに、唯一電動変速だけはどれだけボタンをしばいてもDi2システムに設定された規定のとおり、常に「正しい」スピードで変速が完了する。
この「正しさ」がやりきれない。
これはおれのサイクリングだろう?
たとえ正しくなくても、速くなくても、不正確でも不格好でも、おれの心が生み出したおれの力に寄り従っておれを前に進めてくれる、それがおれの求める、おれの幸せのための自転車のあるべき姿だ。
電動変速にはそれができない。ただあらかじめ決められた正しい動作を、こちらの心情に関わらず正確に返してくるだけだ。
怒りに任せて振り上げた拳が勝手に握手をはじめたら、これほど不快なことはないだろうが。ふざけるなよ。殴ると決めたら殴るんだよ。グーでげんこつ、パーなら張り手、ピースのチョキでも目を狙え。
結局おれの力は宙に消え、おれの心は伝わらない。あとに残るのはいつもどおりの借り物みたいな「正しい」動き。そんな道具がいい道具とは、おれにはどうにも思えない。
娘が最近、多段変速機付きの自転車に乗り始めた。
その自転車にはグリップ式のシフターがついている。5歳の小さな掌では走りながら上手く力を込めることができず、はじめはギアの上げ下げも一苦労だ。
家の前でベソかきながら何度も何度も練習してから、近所のちょっとした坂へ行った。
走り出し、ギュッとグリップでワイヤーを引く。ステアリングはおぼつかないが、なんとかカチカチっと1速へ入った。まだ慣れないローギアを不器用にくるくる回して、右へ左へ蛇行しながらどうにかこうにか登り切ることができた。
娘がひとりで、これまでたどり着けなかったあの坂の上まで、自分だけの力で到達したのだ。
坂道のてっぺんからこちらを振り返る嬉しそうな顔には、自転車という機械がくれる幸せの全てがあった。
おれたちもそうだったはずだ。
どうにか越えた最初の坂は、次第に丘に、今では山に変わったが、それでも峠を越えるおれたちの心の根っこはあのころのまま、「自分の力でここまで来れた」、その喜びに満ちている。
電動変速は、その純粋な喜びを密かに、微かに、しかし確かに掠め取っていく。
この峠に着くまで何度変速をした?その力はどこからやってきた?
途中で抜いたボロい自転車に乗ったあいつが、今後ろから息も絶え絶えやってきた。見ろよ、TOURNEYの7速だ。そいつを前に、今や電動しかなくなったご自慢のDURA-ACEをぶら下げて、おまえは胸をはれるのか?
言っただろ?これはおれたちにかけられた呪いだ。
知らなければ、気づかなければ、こんなことを考えなければ、ずっと幸せでいれたのに。そんなふうに思うなら、おまえはもう呪われてるんだ。
呪いを解く方法?知るかよ、自分で考えろ。それを他人に尋ねているから、今のおまえは呪われたんだ。おまえの幸せのためのサイクリングだろうが。おまえ以外に代わりはいない。仕事じゃないんだ、真面目にやれ。
来年には自転車の駆動を人工知能で制御するAI変速が実用化されるらしい。
パワーメーターと連動し常に一定トルクの正確なペダリングを実現する、シフト操作すら必要ない、全てを人工知能に制御された完全自動変速。Di2が可愛く見える。
別にいいんじゃないか?AIだって、電動変速だって、eBikeだって、実用的な移動手段として、より効率的で安全で汎用性の高い形になっていくことで、多くの人の幸せにつながることもあるだろう。
そうしてしばらくすると、マーケティングを善意で包んだ青い服来た見慣れた奴らが、「おれたち」のための人工知能を引っ提げて堺の方からやってくる。やつらに罪はない。世に新たなものを生み出すことが、彼らにとっての幸せなんだろう。それもいい。
問題はおれたちのほうだ。
主観の「幸せ」を客観の「正しさ」に求める自他境界の狂った馬鹿の声だけがどんどんデカくなっていく。
だってその方が楽だもんな。迷う事も間違える事も、非難される事も恥をかく事もないんだから。幸せになるって、定義も曖昧だし、「正しい」ほうがコスパもいいよな。うんうん、合格。よくできました。やっぱ最近のロボットって賢いね。
そう遠くない将来、AIに提案された「正しい」ルートとAIが制御する「正しい」ギアで峠を登って、「サイクリスト」を自称するやつらが現れる。
そして辿り着いた頂上でこう言うんだ。
「自分の力でここまで来れた」と。
それがおまえでないことを、それがおれではないことを、今はただただ願うばかりだ。
おしまい
コメント
Di2を売っぱらう前日にこの記事が上がってきて感動しました。やはり第二の肉体とも言える自転車は自分の意思で動かしたいですね。
おお、DEFYのやつですよね。実は記事書きながらDUNさんはあのDEFYどうするのかなーってぼんやり考えてたんですが、さすが決断が早い。
この年にもなれば何でもかんでも「好きを通すのは難しい」ので、せめて自分のためのサイクリングくらいは我儘させてくれ…!!っていう呻きです。
初めてのTLRタイヤに感動してたが、初パンクしたのが一週間前。ショップに相談すると「穴」じゃなくて「カット」なので交換推奨と。ならば、タイヤの銘柄もこの際、変えようと検索したらここに辿りついた。タイヤ話の下に面白そうな記事。
読んで、楽しくて笑いました。私は「どうしようかな」とちょっとだけ思いつつも、呪詛を受けない側にいたようです。半世紀弱前にシマノ600EXのあまりのダメさ加減に「ちょっとだけ高いデュラ」のRDを購入した私は、「あの価格なりの品質のデュラ」が「電動だけになった」とは知りませんでした。
仮面ライダー本郷猛に憧れた小学生はなぜか動力の無い二輪に走り、サイコンやバッテリライトは許容しつつも「無動力」は守ったまま年をとりました。
今の私がちょっと気になるもののもう一つは「電動アシスト」です。80歳過ぎまで自転車に乗り続けたい、でも山がちな土地~に移住計画あり~では…。
「正面から動力補助」のバイクで峠を登り切った20年後の私に、どんな言葉をかけてもらえますか?
恥ずかしいポエムをありがとうございました。
いえいえ、原稿用紙13枚めくった先のこんなとこまで、ご一緒できてよかったです。
こんにちは
自分最新の機材が嫌いな訳ではありませんが・・・
自動車でもMTの良さって、自分でギア比を操る事じゃなくって、エンジンの回転軸と、タイヤの接地面の間のドライブトレインに自分も組み込まれていて、エンジンの鼓動や地面をける感覚がシフトノブやクラッチペダルから伝わって、車や路面と対話しながら車を操る所にその「悦楽」があると思っています。
紐の変速も、シフターのクリック感、リンクのがた、ワイヤーのフリクション、ディレイラーの撓み、チェーンが落とされる悲鳴、ギアと嚙み合うときの衝撃や振動などを、全身で感じて考えて、反応して操っているから楽しいのだと思っています。
付け加えるとカーボンフレームよりも「金属フレーム」の方が、今度はフレームに「カキーン」という乾いた音と振動の共振も加わって、変速システムの協奏曲のような反応を楽しむことができますよね。
最新のコンポより古いコンポの緩さや「よいしょ!」感がまたかわいいんですよね。
とか話すと超変人のアナクロ人間扱いされますけど。
未だに自分の力を増幅する電動に油圧も、11枚以上のスプロケの自転車を持たない自分は、間違ってなかったんですね!?
昨日もヨタヨタと走り回ってきました。峠の途中、しんどいと思いながらギアをガチャガチャと鳴らしたのも振り返るとニヤける思いで。ヤクモさんの伝えたいこと全てを受け止められてはいないかと思いますが。
少しだけでも共感できている自分がいます。
真面目に考えるとこの呪いはシフターの改善で跳ね返すことが出来ると思います。
使用者の力や気持ちを変速の速度に反映させる機構をセンサーとアルゴリズムの追加で実現すれば良いのです。
現在は画一的な変速アルゴリズムですがAIによる学習型変速アルゴリズムに切り替えていくことで乗り手の癖を反映させていくことも可能でしょう。
また、現在電動変速システムのプロトコルを解析している有志もいますので自分たちで拡張していくことも夢ではないかもかもしれません。